ヤーノ・サーリネン(Jarno Saarinen 1945年12月11日生)
[フィンランド・オートバイレーサー]
トゥルク出身。元々はアイスレースのライダーだったがロードレースに転向した。世界GPで活躍し、ヤマハのマシンで1972年に世界GP250ccクラスのチャンピオンになった。
1973年、ヤマハワークスライダーとして世界GP500ccクラスと250ccクラスに出場。500cc初戦で優勝するなど好調だった。しかし第4戦イタリアGPの250ccクラスで、スタート直後に発生した多重衝突事故のため死亡。
サーリネンが事故死したイタリアGP250ccクラスのレースの直前には、350ccクラスのレースが開催された。350ccクラスのレースであるマシンがオイルを吹き、コース上にオイルが残ったままの状態で、十分な処理も行われていなかったと言われる。コース路面にオイルが残った状態のまま250ccクラスのレースがスタート。トップで飛び出したのはレンツォ・パゾリーニで、これをサーリネンと、同じくヤマハワークスライダーの金谷秀夫が追う形になり直線を加速していった。
ところが1コーナー手前の直線部分にオイルが残っていたため、パゾリーニのマシンが横滑りして転倒。直後に付けていたサーリネンは、避けきれずにパゾリーニに追突してしまう。2台のマシンと2人のライダーの身体が、もつれ合う格好で高速のままコースアウトし、側壁などに叩き付けられた。2台の直後にいた金谷も転倒し、マシンが炎上した。後続のマシン群も、路面のオイルと、トップ3台の転倒に巻き込まれ、多くが衝突・転倒する結果になった。