グレッグ・ムーア(Greg Moore 1975年4月22日生)
[カナダ・レーシングドライバー]
オーバルコースを得意とし、壁際ぎりぎりまで攻めるダイナミックさに、冷静さも兼ね備えた走りでファンを引きつけていた。
1991年にフォーミュラ・フォード1600に参戦し、1勝・2ポールポジションを挙げルーキー賞を受賞。1993年から1995年までは、インディライツシリーズに参戦。最終年度の1995年には12戦中10勝を挙げチャンピオンとなる。
1996年からはCARTにステップアップし、デビューイヤーながらも3度表彰台に上った。そして翌1997年、第6戦を消化した時点で2度2位に入っていたムーアは、第7戦ミルウォーキーで初優勝。これは、22歳での最年少優勝記録だった。続くデトロイトでも2勝目を上げ、有望若手株として、またジャック・ヴィルヌーヴに続くカナダの新しいスターとして注目を浴びた。1998年も第5戦リオ・デ・ジャネイロ、第12戦ミシガンで優勝し計2勝、また予選では4度のポールポジションを記録。ランキング5位に食い込んだ。
翌1999年、ムーアは開幕戦のマイアミで優勝。その後、第19戦サーファーズ・パラダイスまでで、パフォーマンス的に下り坂だったメルセデスエンジンにおいて1勝1ポールポジションを記録。翌年からは、チーム・ペンスキーへの移籍も決まっていた。
最終戦(第20戦)フォンタナにおいて、ムーアはパドック内のスクーター運転中の不注意により、右手の指を骨折。この怪我で予選を出走出来なかったムーアだったが、所属していたプレイヤーズ・フォーサイスでの最後のレースということから、怪我をおして出走を決意。特別措置を受けて好タイムをマークし、決勝での最後尾(27番手)からのスタートが認められた。
決勝日、ムーアは序盤から追い上げ4周目には15位まで浮上するが、リッチー・ハーンが第2ターンでクラッシュし、フルコース・コーションとなる。そして再スタートとなった9周目、ダッシュを決めたムーアは更に11位にまで順位を上げるが、直後の第2ターンで外側のウォールに軽く接触。
これによりバランスを崩したマシンは、スピンしながらコースアウトすると、芝生に引っ掛かり横転、コックピットから内側のフェンスに激突。その後跳ね返ると、その勢いのままパーツを撒き散らしながら数回転、マシンはコックピット部分を残して粉砕した。ムーアは病院に運ばれたものの、死亡が確認された。頚部、頭部を骨折しての即死であった。