ビビアン・バション(Vivian Vachon 1944年2月14日生)
[カナダ・プロレスラー]
ケベック州モントリオール出身。兄のマッドドッグ・バションとブッチャー・バション、姪のルナ・バションもプロレスラーとして活躍した。
16歳よりファビュラス・ムーラが主宰するプロレスリング・スクールに通い、その後は2人の兄とともにトレーニングを積み、10代のうちにデビュー。1971年2月にカリフォルニア女子王座を、さらに11月4日にはAWA世界女子王座を獲得。1976年3月、全日本女子プロレスに初来日。赤城マリ子が持つWWWA世界シングル王座や、イボンヌ・ジェニングスと組んでWWWA世界タッグ王座に挑戦した。1986年に旗揚げされたジャパン女子プロレスにも来日している。
私生活では、1976年にAWAのバディ・ウォルフと結婚したが、3年後の1979年に離婚。同年11月、カナダ軍のゲイリー・カーネギーと結婚し、イアン(1980年生)とジュリー・リン(1982年生)の2人の子供をもうけた。その後、カーネギーとは1991年に離婚している。
1991年8月25日、ケベック州サン・ジャン・シュール・リシュリューで飲酒運転をしていた自動車に轢かれ9歳の娘ジュリーと共に死亡した。
1991年8月25日死去(享年47)