ベンクト・ロニー・ピーターソン(Bengt Ronnie Peterson 1944年2月14日生)
[スウェーデン・レーシングドライバー]
その後、ミラノの病院に搬送され、骨折した骨を元の位置に固定する手術を受けた。しかし、翌9月11日未明に容態が急変し死亡した。骨折部位より血管に流れ出た脂肪粒が肺・腎臓・脳の血管に詰まり、血液循環を阻害する脂肪塞栓症が命取りになった。ピーターソンの死によりアンドレッティのチャンピオンが決定。その後、ピーターソンのポイントランキングも抜かれることなく、選手権2位が確定した。
この事故については、後方スタートのリカルド・パトレーゼが原因を引き起こしたとして大きな批判を浴び、イタリアグランプリの次戦のアメリカ東GPへのエントリーを拒否された。しかし、実際には全車が停止する前にスターターがスタートランプを点灯させたため、勢いがついたままスタートした後方集団がパトレーゼを押し出す形になったのが事故の原因と確認され、後日パトレーゼの名誉は回復している。事故発生から救急車が事故現場へ到着するまで10分以上掛かり、この間ピーターソンはコース上に寝かされていた。スタート直後の事故対応法が議論され、メディカル・サポートカーが隊列の後ろについてオープニングラップを周回する救急体制が導入されることにつながった。事故の発生したイタリアグランプリを優勝したニキ・ラウダは、「ドイツグランプリだったらロニーは死なずに済んだ」という意味の発言をしている。これはイタリアの医療のレベルがドイツに比べて低いと見なされていたからである。ちなみにラウダはニュルブルクリンクで開催された1976年のドイツグランプリで大事故に遭い酷い火傷を負ったのだがその際ドイツの進んだ医療に助けられている。ピーターソンの事故死は、スウェーデン国内で大きな社会問題となり、ローマ教皇にモンツァでのレース中止を求める嘆願書が出された。事故の翌年から現在までスウェーデンGPは開催されないままの状態になっている。
1978年9月11日死去(享年34)