テオ・ファン・ゴッホ

テオ・ファン・ゴッホ(Theo van Gogh 1957年7月23日生)
 [オランダ・映画監督/著述家/俳優]



 ハーグ出身。1981年に映画監督としてデビュー。1996年の『Blind Date』と1997年の『In het belang van de staat』ではオランダのオスカーとも言えるGouden Kalf賞を受賞した。サンフランシスコ国際映画祭において「Certificate of Merit」も受賞している。俳優としては1992年の『De noorderlingen』に出演。その後、テレビプロデューサーとして、また新聞に物議を醸すようなコラムを書くなどして活動していた。

 テオは論争を巻き起こす文章を書く名人であったと言える。中傷するようなトーン、個人的な敵意があるかのような文調により、彼は他のライターや著名人によって多くの訴訟を起こされ、寄稿していた雑誌を首になり、以後は彼自身のウェブサイトで活動することを余儀なくされた。テオは人生に対して強い虚無的な見方をしていた。大酒を飲み、オランダ人らしくコカインを使用している事をオープンにし、恋愛に関して冷笑的な見方をしていた。また自分の生活を楽しんでいるかのように見えたが、彼自身はいつ死んでもかまわないというような事を語っていたという。

 彼の最後の本「Allah weet het beter」はイスラム社会を扱ったものであり、冷笑的であざけるかのような彼の典型的なスタイルで書かれている。テオは特に2001年のアメリカ同時多発テロ事件以後、イスラム批判でよく知られていた。また、彼はソマリア出身の女性議員アヤーン・ヒルシ・アリを支援していた。アヤーン・ヒルシ・アリの脚本を元に作られた短編映画『Submission』は、4人の虐待されるムスリム女性を描き、イスラム社会における女性への暴力を扱っている。2004年にこの映画がリリースされた後、アヤーン・ヒルシ・アリとテオの両方は殺害の脅しを受けている。テオはこの脅迫を真剣なものと捕らえず、一切の保護を拒否したと言われている。この映画はイスラム社会から、イスラムの教えを誤って認識しているとされた。

 2004年11月2日の早朝、アムステルダムのオースト=ワーテルグラーフスメール区役所の前で殺害された。8発撃たれ、その場で亡くなったが、更に喉を切り裂かれ、胸までも刺されてもいた。2本のナイフが遺体に刺されたまま残っており、そのうちの1つには5ページにわたるメモが止めてあった。このメモには欧米政府、ユダヤ、アヤーン・ヒルシ・アリに対する脅迫が書かれていた。また、エジプトの組織Takfir wal-Hijraのイデオロギーに言及するものであった。

 犯行を犯したモハンマド・ボウイェリは26歳のモロッコ系オランダ市民であり、銃撃戦の後に警察により逮捕された。彼はアムステルダム生まれで高等教育も受けていたが、オランダの過激派Hofstad Networkとの関連があったとされる。ボウイェリはまた、警察官と一般人の殺害未遂、銃の違法所持、アヤーン・ヒルシ・アリ殺害を企てたとして2005年7月26日、仮釈放なしの終身刑を宣告された。

 2004年11月2日死去(享年47)