陸英修(ユク・ヨンス 1925年11月29日生)
[韓国・朴正煕大統領の妻]
陸はソウル大学付属病院に搬送されたが、5時間40分に及んだ手術もむなしく、同日午後7時に死去した。また、式典に合唱団の一員として参加し、客席に座って演説を聴いていた女子高生・張峰華(当時17歳)も、ステージ上にいた警護員が彼女の客席付近を走っていた文に向けて射撃した際の流れ弾に当たり、死亡した。
朴大統領は、夫人が重傷を負い病院に搬送されたにもかかわらず、「私は大丈夫だ」と言って、麦茶を一杯飲み終えた後、何事もなかったかのように最後まで毅然と演説を続け、その場に居合わせた観衆からは大きな拍手が送られた。しかし、式典の終了と同時に病院に駆けつけ、夫人の死亡を耳にした際には、その場で大声を上げて泣き崩れたという。
文は実行までは、朝鮮ホテルに宿泊していたが、事件当日の朝、ソウルパレスホテルのフォード車を借り上げ、正装を着て中折帽までかぶった重厚な身なりで、某商社のソウル支店長と待ち合わせている日本政府高官になりすました。高級車に乗っていたこともあってか、警備員からも全く疑われる事なく、記念式典会場である南山の国立劇場に潜入していた。国立劇場の中へは本来、招待状を持つ人しか入場出来なかったが、劇場入口を守っていた警察官は、日本語を使う文を、招請された外国人VIPと判断し、招待状がないにもかかわらず入れてしまった。当初、文は大統領夫妻が劇場に入場する際に狙撃する事を試みたが、大統領が歓迎の子供達に囲まれていた事から、実行を断念している。
10月7日に初公判が開かれ、文は法廷に立った。文は大筋で犯行を認め、10月19日の1審(死刑判決)、11月20日の2審(控訴棄却)、12月17日の大法院における終審の全てにおいて死刑が宣告された。宣告から3日後の12月20日に、ソウル拘置所の処刑場において、拘置所長が文の死刑を確認する判決文を朗読した後、検事や牧師、刑務官など約10人が立ち会いのもと、「私が愚かでした。韓国で生まれたらこんな犯罪は犯していないでしょう。朴に心から申し訳なく思うと伝えて下さい。国民にも申し訳なく思うと伝えて下さい。陸夫人と死亡した女子生徒の冥福をあの世に逝っても祈ります。朝鮮総連に騙されて、大きな過ちを犯した私は愚かであり、死刑に処せられて然るべきです」と涙ながらに最後の言葉を録音で残し、家族に対しては「母には、息子の不孝と期待に背いた事を申し訳なく思うと伝えて下さい」という遺言を残し、午前7時30分に文の死刑が執行された。
1974年8月15日死去(享年48)