新倉雅美(にいくらまさみ 本名:渡邊清 1937年生)
[アニメ製作会社社長]
1973年に『ドラえもん』がスタートすると、本社を新潟から東京へと移す。同作の収益は黒字で、東京テレビ動画時代からの赤字を補填できる目途がついたが、その矢先に渡邊は突如失踪した。後を継いだ会長も経営に関心がなかったようでほどなく廃業。日本テレビ動画はわずか1年強で消滅し、『ドラえもん』も打ち切りとなった。
失踪した渡邊はその後、海外で映画会社を勃興させるもうまくはいかず、フィリピンに移住し、日比合作の映画製作の話をフィリピン政府要人に持ちかけたが、実現せず、借金を抱えて困窮していた。その後、暴力団東組の暴力団員から、拳銃密輸の話を持ちかけられ運び屋となり、1986年5月に逮捕され、送検されている。逮捕後の報道は無く、それ以後の消息などは一切不明で、関係者でも、現在つきあいのある人間は、誰ひとりいないという。