ハードバージ(1974年3月15日生)
[競走馬]
1976年7月24日にデビューを果たしたものの2歳時には勝ち上がれず、初勝利を挙げたのは年明けの未勝利戦であった。初勝利までに7戦を要したが、特別戦をはさんで挑戦した毎日杯で重賞初勝利を挙げた。
続く皐月賞は、「天才」の異名を取った福永洋一が騎乗し、8番人気の低評価を覆して優勝。続く日本ダービーは武邦彦が騎乗。1番人気に推されたものの、ラッキールーラにアタマ差及ばず2着に敗退。その後、脚部に不安が生じたため、この競走を最後に早期での引退となった。
引退後は種牡馬になったものの活躍馬を輩出することができず種牡馬廃用となり、去勢した後に北海道の乗馬クラブへ譲渡。そこでも乗馬の適性が無かったために僅か3ヶ月で福井県の観光業者に引き渡された。そこではショーの馬や馬車の牽引役として使役された。しかし、中世の騎馬戦をテーマにしたホースショーで鎧を含めて90kg以上の人を乗せ3週間という長い期間の労働で急激に衰え、飼葉食いも細くなり、最終的には熱中症で斃死するという悲劇的な運命を辿った。
ハードバージの辿った末路は新聞記事で取り上げられ、名馬の余生を考えるきっかけとなり、やがては競走馬の養老施設や助成制度が作られる契機となった。一方で一流馬の引退後の処遇に対しての日本中央競馬会の対応を批判する論調もあった。
なお、ハードバージの全弟には種牡馬で、平成期にゲームソフト「ダービースタリオンIII」において、種付け無料という設定で注目を浴びる事となったマチカネイワシミズがいるが、皮肉なことにマチカネイワシミズは「皐月賞馬ハードバージの全弟」という血統を見込まれて種牡馬入りしたものである。
1987年7月?日死去(享年13)