ホルヘ・ダルト(Jorge Dalto 1948年7月7日生)
[アルゼンチン・ピアニスト]
タンゴのバンドネオン奏者の父親より5歳のころからピアノを習う。1969年、アメリカ移住。1973年よりニューヨークを拠点にプロの道を目指す。ジョージ・ベンソンのバックでキーボードを担当。彼の1976年に発表された『ブリージン
(Breezin)』にも参加。その後、マリオ・バウサの『アフロ・キューバン・ジャズ』(1986年)などへの参加など、フリーのスタジオミュージシャンとして活躍した。
1987年、癌のため39歳の若さで死去。妻アデラとの間に子供が二人いた。
1987年10月27日死去(享年39)