中村歌江(なかむらうたえ 本名:青江とく 1891年生)
[女役者]
東京出身。生家は商家であったが、14歳にして興行師の青江俊蔵の養女となる。青江は神田劇場を本拠地に、中村歌扇・中村歌江を義姉妹コンビとして売り出すと、歌扇・歌江は絶大な人気を博し、神田劇場は女性による芝居で隆盛を迎えた。
歌江は若さと美貌で歌扇を上回る人気で、歌江が出ると客席から黄い声援が飛び交うほどだったという。ことに若く美しい歌江の存在は女役者の世界に潤いを与えたが、1919年10月6日、その歌江が結核でこの世を去った。同年6月の『己が罪』が最後の舞台となったが、それ以前にも体調不良でたびたび休演していた。
その後、歌扇は箱根の温泉旅館「成駒」の女将に専念するとして、1921年に引退した。同僚だった歌江の死のショックによる引退ともいわれている。
1919年10月6日死去(享年29)