堀ひろ子(ほりひろこ 1949年4月1日生)
[オートバイレーサー]
東京都出身。1970年頃ホンダスーパーカブに乗ったのがきっかけで自動二輪車に興味を持ち、当時は珍しかった女性の大型オートバイ乗りになった。世界25ヶ国4万キロのロングツーリング(1975年マシンはホンダCB750F)、女性初のロードレース参戦(1976年)、今里峰子と共に出場し完走した鈴鹿四時間耐久レース(1980年・1981年ともにマシンはスズキGSX400E)、同じく今里と共に走破したガオ経由サハラ砂漠縦断8000キロ(1982年マシンはSUZUKI
DR500)など偉業を残す。
1976年の時点では規程によりレースへの参加は男性ライダーに限るとされており、特例的に参戦した堀ひろ子の実績によって後に規程が改められることになった。
並行して、女性ライダーだけのレース「パウダーパフ」の主催(1978年)、女性向けオートバイ用品店「ひろこの」の開店(1979年)、『旅立てバイクツーリング』(1981年)等の執筆活動などを通じ、後進の育成、オートバイ啓蒙にも力を注いだ。
サハラ砂漠縦断から帰国後、翌年1983年には今里と共に写真集出版のためにヨーロッパ5ヶ国をツーリング、1985年の中国タクラマカン砂漠冒険ツーリングの準備中、1985年4月30日に自宅で亡くなった。生涯の愛車はLaverda 1200LTD。
死因については諸説ある。新聞等では寝室のベッドで急性心不全と発表されており、首吊り自殺とみられる。オートバイ用品店「ひろこの」の経営不振が原因と言われているが、真相は不明である。
1985年4月30日死去(享年36)