府中市の運転手K(1943年生)
[三億円事件の容疑者]
12月21日にモンタージュ写真が公表された。しかし、事件直後に容疑者として浮上した立川グループ(非行少年グループ)の少年Sの顔を見た銀行員4人が犯人に似ていると答えたことを根拠として、Sに酷似した人物の写真を無断で用いたものであり、通常のモンタージュ写真のように顔のパーツを部分的につなげた物ではなかった。このモンタージュのモデルになった人物は調布市のブロック工事会社社長。写真は18歳のときのもので、酔ってケンカをした際ナイフを所持していたため「銃刀法違反」の逮捕歴があった。男性は三億円事件の1年前の1967年4月8日に埼玉県朝霞市内の工事現場で突然崩れ落ちてきたブロックの下敷きになり、28歳で死亡した。
盗まれた3億円は、日本の保険会社が支払った保険金により補填された。その保険会社もまた再保険(日本以外の保険会社によるシンジケート)に出再していたので損害の補填をうけ、日本企業の損失はなかった。そのため、事件の翌日には社員にボーナスが支給された。また、再保険により得られた外貨保険金が外貨準備高の増加に寄与し、日銀も恩恵を受けたため、財政的にも棚ぼたをもたらした。このように史上例を見ない金額の事件だったにもかかわらず、実質的に国内で損をした者は1人もいないとされている。
しかし、マスコミの報道によって大きな被害を受けた人物が存在する。府中市に住む運転手Kは、事件当時は25歳。住まいや過去の運転手の仕事から各現場の地理に精通していること、血液型が脅迫状の切手と同じB型、タイプライターを使う能力を持っていること、友人に送った手紙が犯行声明文と文章心理が似ていること、モンタージュ写真の男と酷似していることなどから12301人目の容疑者候補として浮上。しかし、脅迫状の筆跡が異なっており、金回りに変化がないことから、警察は慎重に捜査をすることとしていた。ところが発生から1年後の1969年12月12日に毎日新聞が1面トップで「府中市に住む元運転手Kが容疑線上に浮上」という記事をKの顔とモンタージュ写真の顔を合成した写真を掲載するなどして犯人視する報道を展開。このため警察が逃亡を防ぐとの名目で別件逮捕。新聞各社も「容疑者聴取へ」などと実名入りで書き立てる。ところが本人が場所を記憶違いしていたながらも事件当日に就職面接を受けていたアリバイが報道を見た会社担当者からの連絡で証明され、完全なシロとして釈放された。
しかし警察に容疑者として逮捕されただけでなく新聞各社が犯人扱いで学歴、職歴、性格、家庭環境まで事細かく暴露。このため本人は職を失い一家は離散。さらにその後も真犯人の見つからない中で「三億円事件の容疑者として逮捕された」との世間の偏見と事件に関するコメントを執拗に求めるマスコミ関係者に悩まされ職を転々とし、2008年9月に沖縄で自殺した。報道による人権侵害(報道被害)の最たる例であり、この月の縮刷版・当日のマイクロフィルム紙面は現在各社共封印している。
2008年9月?日死去(享年65)