イーディ・セジウィック(Edie
Sedgwick 本名:イーディス・ミンターン・セジウィック 1943年4月20日生)
[アメリカ・女優/モデル]
カリフォルニア州サンタバーバラにて、名門の旧家セジウィック家の8人兄妹の7番目の子供として生まれる。牧場主でもある異常なほど厳格な父のもとで育つ。父は当時、その精神疾患の遺伝体質から「子供をもうけることを禁じられた」ことがある。
1957年、拒食症のため寄宿学校を1年で中退。1962年、父の浮気現場を目撃してしまった事に父が激怒し、シルヴァー・ヒル精神病院に入院させられる。1963年、兄のミンティが自殺。イーディは美術を学ぶため、マサチューセッツ州のケンブリッジからマンハッタンに移る。1964年、ニューヨーク東60丁目に住み始めパーティーに明け暮れる日々を送り、社交界では有名な女性となっていた。
1965年3月、映画プロデューサーのレスター・パースキー宅でポップアートの旗手アンディ・ウォーホルと出会う。その出会いを機に、彼女の友人チャック・ウェインとともにウォーホルのスタジオである「ファクトリー」
に通いはじめ、ウォーホルの映画に出演することになる。
主演作は、『Poor Little Rich Girl』『ビニール』『Beauty #2』『チェルシー・ガールズ』など。
イーディはポップカルチャーの最前線に立ち、その独特なファッションとともにヴォーグやライフなどで取り上げられ「ユース・クエイカー(若者が起こした揺さぶり)」と呼ばれた。1965年の「ガールズ・オブ・イヤー」にも選ばれる。
しかし、彼女がロックミュージシャンのボブ・ディランとの付き合いを始めた頃から、彼女とウォーホルの間に距離が生じ始める。その頃ウォーホルは、ファクトリーの常連となっていたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロデュースを始め、また、ファクトリーの新しいスター、イングリッド・スーパースターという女性の出現もあり、二人の関係は悪化していく。1966年、イーディはボブ・ディランと破局。ドラッグに溺れていた彼女はタバコの消し忘れによる火事で火傷を負う。
1967年、最後の映画『チャオ!マンハッタン』に出演。様々なアーティストが集う有名なチェルシーホテルに転居するがドラッグ中毒により入院。家族のいるカリフォルニアへ戻る。精神病院からの脱走・再入院を経て、牧場である実家で家族とともに過ごすことになる。1969年、病院にて患者のマイケル・ポストと出会い、のちに結婚。ドラッグを絶とうとする。
1971年11月15日の夜、サンタバーバラ美術館のファッションショーに行ったイーディはドラッグに手を出してしまう。翌朝、夫であるマイケル・ポストが彼女の部屋に様子を見に来た時には、すでに息はなかった。睡眠薬の過剰摂取による死だった。
1971年11月15日死去(享年28)