エリス・レジーナ

エリス・レジーナ・カルヴァーリョ・コスタ(Elis Regina Carvalho Costa 1945年3月17日生)
 [ブラジル・歌手]



 ポルト・アレグレで生まれ、11歳の時に子供向けラジオ番組で、歌手としてのキャリアをスタートさせた。1959年に13歳でラジオ局と契約を交わし、翌年にはリオデジャネイロ市へ赴き、彼女の最初のLPである「Viva a Brotolandia」を録音する。1965年には、彼女が初めて受けた歌謡コンテストで優勝し、「ボサノバの女王」と呼ばれた。2枚目のLPである「Dois na Bossa」は、ブラジル国内のレコード売り上げ記録を更新し、1966年にはブラジルの最高級取りの歌手として知られた。

 エリスは、彼女と同世代のブラジルのミュージシャンたちを迫害し追放していた当時の独裁政権を時々批判することがあった。1969年のインタビューでは、「ブラジルはゴリラに支配されている」という見解を述べたこともあった。彼女は人気があったゆえに牢獄に入れられることはなかったが、それでも圧力を受け、やむをえずスタジアムのショーでブラジル国歌を歌わされることになり、左翼的思想の人々から反感を買うことになる。

 エリスは、気まぐれなところがあり、また教養のなさで自ら苦しみ、1970年代からは不眠症でモルヒネに頼るようになった。また、政権批判に伴う圧力や両親の世話や育児疲れ、2度の離婚といった様々なストレスからアルコールやコカインに溺れる様になった。弁護士との結婚を決めた翌1982年、寝室で遺体となって発見された。チンザノ(酒)とモルヒネの飲み過ぎが原因であった。現在、彼女はサンパウロ市のモルンビ墓地に葬られている。

 1982年1月19日死去(享年36)